chile-imhungry’s メモ

ネタバレとメモ

ミッドサマーメモ

ミッドサマー考察メモ

 

だいぶまえに書き散らかして頓挫したメモ、メモのまま残しとく

 

観た直後は「グロ」と「後半だいぶトンチキだったな…」が主な感想だった。あと最後ダニーが家族を得たのはわかった。「イングマールは何故生贄に名乗り出たのか」という疑問から「誰が生贄になったんだっけ」と記憶を辿ったら、あ!!!??そういうことか!!!??ってなったのでメモ。

 

【村社会】【家族】【信仰】

 

《 誰が生贄になったのか》

・村の外から来た人:マーク、ジョシュ、サイモン、コニー、クリスチャン

・村人:アッテストゥパンで飛び降りた老人2人と自ら志願した2人(イングマール、ウルフ)

 

九人の共通点は【村に必要ない/不利益をもらたす人間】

 

・外から来た人: 交配の種として連れてこられたのでそれを果たしたら用済み。

そもそも村で行われている事を知られる以上帰すわけにはいかないのでおそらく最初から帰さないつもりで招いてる。永住or dieの2択(ほぼdieの方)。"家族"になり永住する人だけが殺されない。


・老人:72歳になった。歳をとった。


・志願した村人2人

イングマール:新しい血(コニーとサイモン)を連れてきたが交配に至らなかった。コニーとサイモンは強く反発し村を出て帰ろうとした。=村に迷惑をかけた?

(ペレが連れてきた人達もそれなりにやらかしたけど、クリスチャンは交配に至り、ダニーはメイクイーンとなり村に残った)

ウルフ:先祖の木を守る役目に失敗した

→2人とも償いの意味で志願した?


つまり、村にとっての邪魔者が生贄になっている

→【仮定】ホルガ村の宗教的に見える儀式の数々は実は村人都合の非道な行いの隠れ蓑でしかない。村にとっての最優先事項は村の秩序と利益(存続含む)であり、神への信仰はフェイク。村人の行動の目的・動機は神への信仰に由来しておらず、ホルガ村全体の利益を目指すこと、あるいは村社会特有の圧力に動かされているのではないか。

 

 

《ホルガ村のコミュニティ》

婚姻や血の繋がり(親子)単位で行動する様子が見られない。村全体が家族。寝床も食事も皆が一緒。食事は皆が揃うまで食べ始めない。プライベートのない寝床。行動を共にするだけでなく、感情も模倣する。


同調、共感、→"個"が失われて"全体"の一部になる。


個の利益ではなく村の利益

村に命をもたらすため妊娠を望み、産まれた子供は村全体で育てる。

 

 

《ホルガ村の神》

女神への贈り物の寸劇や神殿など、一応神はいるテイだけど存在が希薄。


・聖書ルビ・ラダー

"永遠に書き綴られ進化する"

知的障害のあるルビンが描いた絵を長老が(好き勝手に)解読し、それを神の教えとする


・ウルフが取り乱した件も「先祖の木 」(神殿や神棚ではなく)

 

 

 

《ダニーとクリスチャンのギスギス》

ダニーは家族を失い深い悲しみと孤独感に苛まれた。が、クリスチャンは拠り所にはならなかった。別れたがっていた。

クリスチャンにはダニーに対する共感がない

優しくないわけではないが気持ちに寄り添わない。


一方、ホルガ村の村人はダニーと共に踊り笑い、泣いた時には寄り添い一緒に泣いた。

ダニーは最初は逃げていたが、徐々に村(集団)に取り込まれていく。

 

 


《ダニーが感じた癒し》《個と集団》

ダニーは孤独だった。家族を求めていた。

ホルガ村は個のない集団。誰かが笑えば皆が笑い、誰かが泣けば泣き、苦しむ。集団に溶けることで個の輪郭がぼやけ、他者との境目があいまいになり一つの大きな塊(集団)になる。

ダニーは個を持っていた。自分だけの苦しみと悲しみを持ち、自分の価値基準をもとに村の行いに違和感を持ちショックをうけた。

が、村人と同じ服を着てメイクイーンを選ぶダンスに参加する中で、同じ踊りを踊り、一緒に笑い(ほぼドラッグの力な気がするけど)少しずつ村に心を許す(取り込まれていく)。それでもまだ抵抗していて、ニシンを押し付けられて拒否した時にはまだ個が残っていた。でも最後の儀式で生贄の選択を迫られクリスチャンを選んだ事で完全に村の家族の一員になった。儀式に加担する事で共通の罪を持ち、村の意向と一致する選択をした。クリスチャンとの決別は今までの悲しみや苦しみを持った個との決別でもあった。個の持ち物である悲しみや苦しみから解放され、家族という安らぎを得た。

 


《クリスチャン》

彼の名前がクリスチャンなのは無視できない気がする。この映画にとってのキリスト教(あるいは全ての宗教)の位置づけ?

クリスチャンが敬虔なキリスト教であるらしき描写はない。

1年前から別れたがってるのにまだ付き合ってる。大学院生なのに電子図書館の使い方も知らなかった。流されやすく主体的に動かないタイプの人間と推測できる。信仰に関しても同様のスタンスなのかも。

アッテストゥパンの後急に論文を書くと言い始めたのは何故だったのか。欲に流されたのか、キリスト教に対する信仰のなさの表れか。村と同様にクリスチャンも神を持たない人間だったのか。

このへんは何かありそうだけどよくわからない

 


《男と女》

村外の人間を連れてくる目的は交配。村内の血を濃くしすぎないため。外から来た男性は交配が済んだら用無し。対して女性は少なくとも出産まで村にいる必要がある=村に残り"家族"になれる女性であれば殺されない。

イングマールはサイモンと付き合う前のコニーとデートしたことがあると言っていた。つまりイングマールはコニーを好きだった。イングマールにとっては、うまくいけば村に新しい血をもたらした後サイモンが殺され、一人になったコニーと自分が結ばれるチャンスだった。が、コニーとサイモンは村人と結ばれる前に村を出ようとしたので殺された。カップルを連れてきたイングマールとペレの違い。やろうとしたことは同じ。うまくいったのがペレ。失敗したのがイングマール。

(村にダニーを誘ったのはペレじゃなくクリスチャン。ペレはダニーに好意を持っていたというよりは、家族を求めているダニーが村にピッタリだと思ったから賛成した?)


村、ぱっとみ女性の方が多い気がして、女性は村の子供を産むために残り、男性は自由に外に出れるかわりに外の血を連れて来る、だったら更に嫌な話だなと思ったけど、男女問わず人生の"夏"は外に出る仕組みぽいから関係ないのかも

 

 

《ホルガ村の倫理観》

ドラッグ、殺人、自殺(姥捨)、ワンナイトオファー、禁欲的な様子がない

 


《信仰》

神への信仰がない、善悪を律する絶対的存在(神)がいないから倫理観がめちゃくちゃ。倫理の代わりにホルガ村の秩序を守っているのが村社会の圧力。という話かなと思ったが、

神がいない=信仰がない=倫理がないと言い切れるか。土着信仰、自然、大地への信仰、先祖信仰など。

倫理観がないのではなく、一般的な倫理観とは全く違う村独自の倫理観があり、むしろそれにがんじがらめ?それは倫理ではなくただの暗黙のルール?倫理とは…

一部の人間の意向が神の教えとして集団の共通の目的になっているのはむしろすごく宗教ぽい気もする。

 

大豆田とわこ第7話までを見た感想と解釈と思い起こされたわたくしごと

大豆田とわこ第7話までを見た感想とネタバレと解釈と、思い起こされたわたくしごとのメモです。ネタバレを見たくない方と他人の私事を聞きたくない方は読んではいけません。

 

6話見たあとに好き相互さんとLINEでお話したりして、このドラマの主題が「別れ」であると気付いたらとたんにストーリーがするする心に落ちるようになった。

最初に聞いた時は少し唐突で意外に感じた「別れたけど今でも一緒に生きてると思ってるよ」というセリフが、ああどんな別れもそうなんだ、そっか、と、これはもっともっと強く「そっか」って思う日が来るから覚えておきたいなと思った。この先きっと経験するお別れとその後の日々のために。

 

しんしん、前話の地獄の餃子パーティーからの小谷さんとの別れがあって、今日はオペレッタの店員さんの「こんばんは」に顔を見て「こんばんは」してたね。嗚呼しんしんや

 

 

https://twitter.com/chile_imhungry/status/1366758607669194757?s=21

 

↑これはドラマとは関係なく少し前にしたツイート。You are what you eatという言葉があったと記憶してるんですが、I am what I sawとかI am what I ateとかI am what I readとかそんなことは割と頻繁に考える。(英語あってるのか心配)

私の夫は子供の頃のお父さんとの思い出でできている。全部じゃないけど結構な面積(体積?)を占めてると思う。夫が欲しがるものや与えたがるものは、かつてお父さんにもらって嬉しかったものともらえなくて悔しかったものだ。ろくでもない父親だったといいながら、亡くなった今でも、むしろ亡くなってから尚更憧れている。私が夫の価値観を変えて欲しいと思うときいつもその根元に義父の存在がちらついて、それを否定したら夫の大切なものまで踏みにじってしまいそうで躊躇する。

夫は確かに今も義父と生きていると思う。

 

私は身近な人を亡くした事はあるけれど、それによる大きな喪失感というものを味わったことがまだないと思う。喪失感だけで言えばむかし彼氏に3ヶ月でフラれた時のやつが一番かもしれない。

小学校低学年のころ長く実家で寝たきりだった祖父が亡くなった時、テレビを見ても泣くのにおじいちゃんのお葬式では涙が出ないなんて薄情なのかなと思った。悲しむのが当然だと思っていたし、それ以外の然るべき感情が思い浮かばなかった。

中学の頃には、ここにいない人と死んだ人は同じだと思うようになった。誰かが亡くなったらなんとなく悲しいような気がするけれど、それは友達が転校したことと同じでしかないんじゃないかと。生きてる間だって会いに行こうとしなかったのに、死んだ時ばかり泣いて悲しむのはなんだか白々しい気がした。

高校三年生の終わり頃、バイトで一緒だったひとつ年下の男の子の事が好きだった。高校を卒業して東京に来てからもしばらく好きなままだった。翌年東京の大学に受かったと聞いた時はちょうど自分が辛かった時期で、そこに希望の端っこを掴んだような気になったりもした。実際は会うことはなかったし、なんにもなかった。何年かたって共通の友達から、少し前に事故で亡くなっていたらしいと聞いた。

喪失感はなかった。少しの実感もわかなかった。日常にいなかったから。

それを聞いたのはたしか長女が生まれたばかりの頃で、わたしはとっくに彼ともう一度会うことを夢見たりしなくなっていた。

ただただびっくりして、それこそ"やり残した事"があったんじゃないかなと思った。"あまりに若かったから"。

手を合わせたいと思ったけど、ご実家に線香をあげに行ったりお墓の場所を聞いたりするような間柄ではなかったから、こういう時に手を合わせられる場所があったらいいのにと姉にこぼしたら「北だよ」なんて答えが返ってきて、恵方巻食べる時みたいにスマホで北を調べて手を合わせた。(北だよ、のソースは不明)

あの時からずっと実感がないまま、普段は忘れているけどたまに思い出す。悲しくなかったけれど手を合わせたかったあの時の気持ちは果たしてふさわしいものだったのだろうかという引け目が少しだけあって、それが小さな未消化感を残していた気がしないでもない。で、きのう大豆田とわこを見て気付いたのだけど、わたしは彼に元気でいてほしかったんだと思う。ズバリじゃないけど、そういう種類の感情だった。ちゃんと睡眠とって、野菜食べててほしかった。血流良くポカポカしててくれたら尚良かったかもしれない。わたしはその時わたしの周りにいた大切な人達と同じように、生きていたとしてもきっと再会しなかったその人に、気持ちは伝えなかったけどかつて好きだった、一時は気持ちだけほんの少し寄り掛からせてもらっていた、ずっとむかしバイトの最終日に終電まで付き合ってくれたその人に、生きてる時に元気でいてほしかった。

第7話でオダジョーが「人間は現在だけを生きてるんじゃない」中略「あなたが笑ってる彼女を見たことがあるなら彼女は今も笑ってるし、5歳のあなたと5歳の彼女は今も手を繋いでいて、今からだっていつだって気持ちを伝えることができる」と言った。前半はわかるが後半は正直わかるようなわからんような。私は今からでも彼に気持ちを伝える事ができるのだろうか。それは彼に届くのか私に届くのか。伝わるとは。(尋問)

 

私が言うのもおこがましいですが、ブラックな会社は辞めて、別れられない彼女さんよりも自分の事をだいじにして、できたら元気でいてください。かしこ。

 

 

オダジョーがだいじなことを次々にしゃべるのでこのドラマの核まで全部言っ…?て思ったら狂気の沙汰みたいな「おかかツナマヨどっちがいいですか」が繰り出されたので、私の脳内では「そんな大豆田とわこ、第2章は始まったばかり!」という存在しないナレーションが沙莉ちゃんの声で響き渡りました。解散!

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アーサー早く狂ってくれとおもった話

ジョーカーやっと観たメモです。

作品評じゃなくて感想。

 

 

予告で既に辛い予感しかなくて、実際本編の中盤を過ぎてもただひたすら辛くて、もうやめてくれこれ以上アーサーを傷つけないでくれ、望みの糸を切らないで、孤独を深めさせないで、という気持ちしかなかった。

ジョーカーになってしまうことが物語の最大の悲しみだと思っていたのに、見進めるにつれていつの間にか、早く狂ってくれという気持ちが芽生えた。これ以上虐げられて傷付かなくてもいいように、早く狂ってくれ。

 

アーサーの殺人に悪者を倒したような爽快感は感じなかったし、ジョーカーがヒーローだとは思わない。決して肯定はできない、のに、これ以上傷つけられないでほしいという本当にただその一点だけで、アーサーがジョーカーになることにほっとするような、希望を見出すような気持ちになった。術を持ったこと、無視されない存在になったことを、「よかった」と思ってしまった。

トークショーでアーサーが計画通り自身に向けて引金を引いていたら、きっともっとやるせなかった。彼にとって本当に喜劇になったらいいと思った。


まだティムバートン版のジョーカーを見た事がないので見なきゃなんですが、その前にもう一度ダークナイトのあのジョーカーを見たくなった!


ホアキンフェニックスさん、主演男優賞本当に本当におめでとうございます!!!!!

 


おわり!

ギウ(チェウシク)がかわいかった件

パラサイト観て一晩明けて、チェウシクさんめっちゃかわいかったな…という余韻がすごかった件ですが、ネタバレしかないのでここで話させてください!めっちゃネタバレ!

 

ギウの母のセリフに「金は心のシワを伸ばすアイロン」「金があれば私だって優しかった」(ニュアンス)というのがあって、その言葉を象徴するような社長の奥様の可愛らしさと"シンプル"さがすごくおもしろかった。でも私は、半地下に暮らす家族の一員であり能動的に人を騙し寄生の主犯格と言えるギウにも素直さや純粋さを感じた。無職の父親に敬語で話しかけたり、ダヘと結婚する未来を想像したり。

冷静で現実的な妹との対比も印象的だった。

 

冒頭、「息子よ、計画があるのだな」と言った父は、後半避難所で「成功するコツは計画を立てないこと(ニュアンス)」と言った。この、"計画はうまくいかない"というフラグからの、ラスト、お金をたくさん貯めてあの家を買いますという、家族想いであまりにも無垢なギウの"計画"。あれだけの修羅場を経てなおそれが叶うと思っているギウの純粋さと、その夢はおそらく叶わないという予感。が、この映画のやるせなさを増し増しに増していたなと思うのです。そんなわけで、私の「チェウシクめちゃかわいかった」のかわいいの正体がギウの純粋さ素直さだとしたら、それは監督の狙い通りなのでは!?チェウシクめちゃかわいいは映画の感想としてそこまで見当違いじゃなくない!?と気付いたという話でした。おわり。

 

(2020.1.17に書いたのをこちらに引越し)