chile-imhungry’s メモ

ネタバレとメモ

大豆田とわこ第7話までを見た感想と解釈と思い起こされたわたくしごと

大豆田とわこ第7話までを見た感想とネタバレと解釈と、思い起こされたわたくしごとのメモです。ネタバレを見たくない方と他人の私事を聞きたくない方は読んではいけません。

 

6話見たあとに好き相互さんとLINEでお話したりして、このドラマの主題が「別れ」であると気付いたらとたんにストーリーがするする心に落ちるようになった。

最初に聞いた時は少し唐突で意外に感じた「別れたけど今でも一緒に生きてると思ってるよ」というセリフが、ああどんな別れもそうなんだ、そっか、と、これはもっともっと強く「そっか」って思う日が来るから覚えておきたいなと思った。この先きっと経験するお別れとその後の日々のために。

 

しんしん、前話の地獄の餃子パーティーからの小谷さんとの別れがあって、今日はオペレッタの店員さんの「こんばんは」に顔を見て「こんばんは」してたね。嗚呼しんしんや

 

 

https://twitter.com/chile_imhungry/status/1366758607669194757?s=21

 

↑これはドラマとは関係なく少し前にしたツイート。You are what you eatという言葉があったと記憶してるんですが、I am what I sawとかI am what I ateとかI am what I readとかそんなことは割と頻繁に考える。(英語あってるのか心配)

私の夫は子供の頃のお父さんとの思い出でできている。全部じゃないけど結構な面積(体積?)を占めてると思う。夫が欲しがるものや与えたがるものは、かつてお父さんにもらって嬉しかったものともらえなくて悔しかったものだ。ろくでもない父親だったといいながら、亡くなった今でも、むしろ亡くなってから尚更憧れている。私が夫の価値観を変えて欲しいと思うときいつもその根元に義父の存在がちらついて、それを否定したら夫の大切なものまで踏みにじってしまいそうで躊躇する。

夫は確かに今も義父と生きていると思う。

 

私は身近な人を亡くした事はあるけれど、それによる大きな喪失感というものを味わったことがまだないと思う。喪失感だけで言えばむかし彼氏に3ヶ月でフラれた時のやつが一番かもしれない。

小学校低学年のころ長く実家で寝たきりだった祖父が亡くなった時、テレビを見ても泣くのにおじいちゃんのお葬式では涙が出ないなんて薄情なのかなと思った。悲しむのが当然だと思っていたし、それ以外の然るべき感情が思い浮かばなかった。

中学の頃には、ここにいない人と死んだ人は同じだと思うようになった。誰かが亡くなったらなんとなく悲しいような気がするけれど、それは友達が転校したことと同じでしかないんじゃないかと。生きてる間だって会いに行こうとしなかったのに、死んだ時ばかり泣いて悲しむのはなんだか白々しい気がした。

高校三年生の終わり頃、バイトで一緒だったひとつ年下の男の子の事が好きだった。高校を卒業して東京に来てからもしばらく好きなままだった。翌年東京の大学に受かったと聞いた時はちょうど自分が辛かった時期で、そこに希望の端っこを掴んだような気になったりもした。実際は会うことはなかったし、なんにもなかった。何年かたって共通の友達から、少し前に事故で亡くなっていたらしいと聞いた。

喪失感はなかった。少しの実感もわかなかった。日常にいなかったから。

それを聞いたのはたしか長女が生まれたばかりの頃で、わたしはとっくに彼ともう一度会うことを夢見たりしなくなっていた。

ただただびっくりして、それこそ"やり残した事"があったんじゃないかなと思った。"あまりに若かったから"。

手を合わせたいと思ったけど、ご実家に線香をあげに行ったりお墓の場所を聞いたりするような間柄ではなかったから、こういう時に手を合わせられる場所があったらいいのにと姉にこぼしたら「北だよ」なんて答えが返ってきて、恵方巻食べる時みたいにスマホで北を調べて手を合わせた。(北だよ、のソースは不明)

あの時からずっと実感がないまま、普段は忘れているけどたまに思い出す。悲しくなかったけれど手を合わせたかったあの時の気持ちは果たしてふさわしいものだったのだろうかという引け目が少しだけあって、それが小さな未消化感を残していた気がしないでもない。で、きのう大豆田とわこを見て気付いたのだけど、わたしは彼に元気でいてほしかったんだと思う。ズバリじゃないけど、そういう種類の感情だった。ちゃんと睡眠とって、野菜食べててほしかった。血流良くポカポカしててくれたら尚良かったかもしれない。わたしはその時わたしの周りにいた大切な人達と同じように、生きていたとしてもきっと再会しなかったその人に、気持ちは伝えなかったけどかつて好きだった、一時は気持ちだけほんの少し寄り掛からせてもらっていた、ずっとむかしバイトの最終日に終電まで付き合ってくれたその人に、生きてる時に元気でいてほしかった。

第7話でオダジョーが「人間は現在だけを生きてるんじゃない」中略「あなたが笑ってる彼女を見たことがあるなら彼女は今も笑ってるし、5歳のあなたと5歳の彼女は今も手を繋いでいて、今からだっていつだって気持ちを伝えることができる」と言った。前半はわかるが後半は正直わかるようなわからんような。私は今からでも彼に気持ちを伝える事ができるのだろうか。それは彼に届くのか私に届くのか。伝わるとは。(尋問)

 

私が言うのもおこがましいですが、ブラックな会社は辞めて、別れられない彼女さんよりも自分の事をだいじにして、できたら元気でいてください。かしこ。

 

 

オダジョーがだいじなことを次々にしゃべるのでこのドラマの核まで全部言っ…?て思ったら狂気の沙汰みたいな「おかかツナマヨどっちがいいですか」が繰り出されたので、私の脳内では「そんな大豆田とわこ、第2章は始まったばかり!」という存在しないナレーションが沙莉ちゃんの声で響き渡りました。解散!

f:id:Chile_ImHungry:20210530020959p:image